12月7日の日記 模様替え

昨日、午前中に出かけて、昼過ぎに家に戻ると、リビングの模様替えが行われていた。模様替えといっても、基本的には入り口に向かって「縦」の状態に置かれていたダイニングテーブルが「横」になっていただけである。我が家のリビングはただでさえ狭いのに、ほぼ全ての壁に沿って家具がぎっしり置かれていて、そのうち一つは壁に備え付けた本棚だったりするので、カジュアルに模様替えすると言えばだいたい、部屋のセンターに位置するテーブルを「縦」にするか「横」にするか、というくらいしかない。この家に住んでおよそ10年、テーブルを「縦」にし、飽きたら「横」にし、またひらめいたように「縦」にし、ということをもう何十回と繰り返してきた。ところが今回は少し事情が違って、この模様替えは私の外出中に行われたのだった。家族の中の誰よりも私が最も長い時間を過ごすリビングのテーブルの配置を私以外の人が勝手に変えているのだから、ちょっとはイラっとしてもよさそうなものだが、案外そうでもなかった。家に入るなり妙にいい気分になって、これも悪くないねって感じになった。新たなテーブルの位置に合わせてペンダントライトの位置まで厳密に調整されていたからかもしれない。

丁寧な仕事を成したのは、我が家にいたりいなかったりする最年長メンバーのTさん(57歳)である(色々あって結婚(仮)を実践している経緯は拙著『家族無計画』と『大人だって、泣いたらいいよ』(共に朝日出版社)を読んでいただければと思う)。Tさんはたまに我が家にやってくると、家族の中の誰よりも早い5時半に起きて、zoomを繋いで仲間たちと早朝読書をして、合間に読書をしていると見せかけて二度寝をしたりもして、ラジオ体操を第三まで(あるのを知らなかった)して、7時過ぎに早朝読書タイムを終える。それから台所とリビングの片付けをして、綺麗になった部屋でトーストを焼いて朝ごはんを食べる。日によって6時に起きたり9時に起きたりする私が起きてリビングに行くと、コーヒーを淹れてくれる。Tさんがいる間、台所とリビングの衛生管理者はTさんになる。しかしTさんは決して、そういうことをやらずにいられないタイプというわけではないことを私は知っている。なぜならTさん自身の家にはそんな気配が微塵もないからだ。逆に私がたまにTさんの家に行くと、自然と掃除をしたくなって掃除をする。そんなTさんが我が家の衛生管理をここまで日課にしてくれているのはやはり、私や子供たちへの愛なのだと思う。だからとてもありがたく思っている。しかしTさんは少しでも眠っていたい時間を削っても、面倒でも、自分に鞭打って私たちへの愛のために家事をやってくれているのであって、それは家そのものへの愛というわけではないので、やってもらっているくせに大変申し訳ないが、所々仕事が荒いなと、たまにクソババアのようなことを思っていた。

ところが昨日の突然の模様替えを機に、Tさんの何かが変わったような気がした。縦を横にしたところで機能的にはそう大差ないテーブルの向きを変え、ペンダントライトの位置を調節したTさん。今日は、一緒に出かけた先で、たまたまふらりと入った、植物も売っているオシャレな雑貨屋で「テーブルの上にグリーンがないな」とぽつりと呟いた。それから「サボテンを育てたい」と言う。これまでサボテンは言わずもがな、パキラ、アイビーとさまざまな植物を枯らしてきた私は大変失礼ながら鼻で笑って「知ってる?サボテン育てるのってかなり難易度高いんだよ。水をやりすぎて腐らせて枯らすか、やらなくて枯らすか、どっちかだよ」と言う。しかしTさんは熱心に、諦めきれないといった様子でサボテンを眺め続けている。それで「じゃあいいよ、でもTさんが責任を持って育ててね」と私が言い、Tさんは嬉々としてサボテンを選び始めた。その数分後。Tさんが大事そうに抱えて持ってきたのは、4種類のサボテンが寄せ植えされている黄色い小さな鉢だった。「なんでそれにしたの?」と聞くと「四人家族だから」と言う。

男の人にとって、衣・食・住ほど近くて遠いものはないのではないかと思っていた。それは決して『おいしいご飯が食べられますように』で描かれていたような脅迫めいた話でもなくて、ただカップラーメンを食べたとしても「美味しい」はあっておかしくないのだ。事実、カップラーメンは大抵美味しい。けれども働き盛りで「24時間働けますか」というCMソングが流行したTさんのような世代の、特に男の人は、衣・食・住をゆっくりと顧みる時間をとることが許されなかったのではないか。

Tさんはここ最近、ご飯を食べながら「美味しいね」と言うことが増えた。以前は決してそうじゃなかった。そりゃ、美味しいでしょう!と言って出したものは「美味しいね」と食べてくれる。けれども、なんでもないものはなんでもないものとして食べる。聞いている音楽とか、見ている映画とか、話していることとか、降って沸いた心配事とか、他にもたくさん気に留めなくてはいけないものがあるから。ところが今日なんて、ありあわせで作ったけんちん汁を「美味しいねぇ」と言いながら食べていた。今目の前にいる彼は、確かに今ここにいるんだな、と思った。最低限に暮らすのでなく、気持ちよく暮らしてみようとする。

歳を重ねた先で毎日をそんな風に変えていけるっていうのはなんだか、いいな、と思うし、すごいな、と思う。そしてそういうことを一緒にできると、やっぱり私たちは家族なんだな、と思う。

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