試しに私たちもやってみますか

久しぶりの雨の日で、体が異様に重かった。なんとかベッドから出ても、目を開けているのがやっと。リビングのソファでひとしきり屍をやる。しかし我が家には非常にデリケートな時期を迎えている家族がいるし、数日前から来ていたパートナーは今日名古屋に帰るっていうし、いかんせん丸一日溶けたままでいるわけにはいかなかった。そこで今日をなんとか乗り切るべく、とりあえずみんなで映画にでも行こうってことに。

決めたは良いもののやっぱりだるい。休み休み最低限の身支度を整えていると上映時間ギリギリになって、慌ててタクシーを拾うと見事なおしゃべり運転手さんであった。こういう日に限って、という世の常の洗礼を浴びる。

「この辺の工事もいつ終わるんですかねぇ。ちょっと車停めたらすぐ笛吹かれちゃうんだから、たまったもんじゃないですねえ」
「ですねえ」

「日本じゃあどんなに歩行者の交通マナーが悪くても車が弱いですからね。アメリカなんかはそうじゃないらしいですよ。ちゃんと歩行者も罰せられるらしいですよ」
「そうですか〜」

「自転車なんてそりゃぁもうめちゃくちゃな運転してますよ。あたしらがそんな運転したらすぐ切符切られちゃうっていうのにねハハハ」
「ハハハ〜」

運転手さん、私はね、普段ならどれだけでもおしゃべりしたいところなんですがね、今日ばかりは家族との会話もままならないくらいしんどいので、小気味のいいトークは少しばかり勘弁していただけないでしょうか、と心の中で切実に願うも、運転手さんは止まらない。いや、しかしよく考えると、私以外にも車内に成人の乗客が2人いるのである。彼らがトークに付き合ったっていいんじゃないか? なんでさっきから我関せずという顔で空気になっているのか。女だけ、母親だけに、ケアワークを担わせる旧態依然とした悪しき社会の体現者なのか君たちは。運転手さんの話に虚無の相槌を打ちながら、内心ふつふつと湧き上がる怒り、憎しみの業火に我が身を焼かれそうになったとき、ふいに運転手さんがこんなことを言い出した。

「……最近じゃあの、キックスクーターっていうの?あれなんてとんでもないですよ。この前、二人乗りしてましたからね。それから電動自転車。あれにいたってはね、三人乗りしてました。大人が」

私は思わず「それは嘘だ!」と声を上げていた。電動自転車に大人が三人乗り、さすがにそれは話を盛っている。私は嘘を許さない。しかし運転手さんは「あたしゃ嘘なんて言いませんよ。こんなこと嘘ついたってしょうがないでしょう」と落語家のように滑らかに真実を訴える。

中国雑技団(そういえばどこいった)さながら前に一人、後方左右に一人ずつ、電動自転車に鈴なった三人が、東京の公道を華麗に違法走行する様を想像して、私は急にすこし、元気になった。

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