2019年から「もぐら会」というコミュニティを運営している。もともとは“オフラインサロン”と銘打って、メンバーが同じ時間、同じ空間で顔を突き合わせることを前提に始まった集まりだったけれど、2020年に突如訪れたコロナ禍の外出自粛期に、やむを得ず活動場所をオンラインに移した。すると、それまでは地理的条件で参加できなかった人が日本各地、ともすれば外国からも参加してくれるようになって、それはそれで良かったので、今では毎月、オンラインとオフラインの両方で集まっている。
今日はそんなもぐら会の月に一度のオフラインの集まりの日だった。
コロナ前まで、オフラインの集まりには、もぐら会の入退会や決済で利用しているCAMPFIREのイベントスペースを無料で使うことができたのだけど、コロナ以降はそれもできなくなってしまったので、この2年ほど毎月、参加人数とメンバーに応じて、渋谷の適当な貸し会議室を借りている。最近は目ぼしい貸し会議室を見つけるためのサービスがいくつもあって、どのサービスを使ったとしても渋谷は国内トップレベルで選択肢の多い場所。にもかかわらず、もぐら会の会場探しは毎回決して簡単じゃない。私たちのメンバーの一人にMちゃんという電動車椅子ユーザーの女の子がいて、会場に段差があるとMちゃんが入室できないのだ。
「バリアフリー」のタグが堂々とついた会場のレンタル料は、私たちのちょっとした集まりには不相応に高額で、また「バリアフリー」となっていてもそれは室内だけの話で、入室するまでに階段を登らなければいけなかったり、建物の入口に高い段差があったりもする。そんなわけで最近はもう「バリアフリー」タグは一切使わないことにして、時間と人数と場所と価格でまずは数件に絞り、それからそれぞれの室内の写真をくまなく見て段差をチェック。さらにGoogleストリートビューで建物の外観を見て、さらに怪しいときには、建物の名前で検索してエレベーターの有無や内観をチェック、という手順で会場を予約している。
ところが、そうまでやってもダメだったのが去年の12月の会場だった。予約していた部屋のある階でエレベーターを降りた後、安心しきっていた私の目の前に突如4、5段ほどのミニ階段が現れ、愕然とした。Mちゃんの電動車椅子はコンパクトながらタイヤが6個もついていて、もちろんバッテリーも搭載されていて、Mちゃんいわく100キロくらいはあるらしい。簡単には持ち上げられないし、仮に持ち上げられたとしても何かの拍子でぶつけて壊れたりすれば、治るまでの間、Mちゃんが移動の足を失ってしまう。
けれど幸いにもこの日、12月にしてはよく晴れた暖かい日だったので、もう急遽この会場を使わないことにして、みんなで一斉に近くの公園に繰り出した。途中のスーパーで45Lのゴミ袋を買って、それをみんなの敷物にして、芝生の上に座ってお話会をした(最初に少し瞑想をして、それから一人ずつ順番に、その日の体調と、話したいことをなんでも話す。それがもぐら会で毎月やっているお話会だ)。木漏れ日がきらきらとみんなを照らして、たまにふわっと風が吹くと霧雨のように落ち葉が舞って、むしろとても気持ちの良い会になったので、これはこれで良かった。
しかし問題はここからだ。今日の集まりへと向かう最中に、ことは起きた。まさか、そんな。Googleマップをたよりに建物に近づくにつれ、徐々に血の気が引いた。Googleマップの示した目的地はなんと12月に借りたあの会議室と同じ建物であった。今回私が借りていたのは、この建物の中の別の部屋だったのだ。がーん。建物名まで見ていたはずなのに、一体なんで気が付かなかったのか。それでもなんとか奇跡を願いながら、とりあえずエレベーターに乗る。今日借りた部屋は5階。5階に着いたエレベーターの扉がゆっくりと開くと、やっぱり目の前に立ちはだかる、見覚えのあるミニ階段。
呆然としながらとりあえず部屋に入り、コンビニで買った朝ごはんのサンドイッチ(美味しかった)を食べながら考えた。今日も公園……いやさすがに今日は寒すぎる。かといって今から別の会場を探すにも、それが簡単でないことは私が誰よりもよく知っている。思えば12月、集まった誰一人不満を漏らすこともなく突発ピクニックお話会を楽しんでくれ、しかも「料金は発生したんだから」と、結局は使わなかった部屋のレンタル料までちゃんと払ってくれた。しかしさすがに2回目ともなると、仏のみんなもイラッとするかもしれない。
しばらく色々考えてみたけど、今回はやはりこの部屋で決行するしかなさそうだった。エレベーターを降りて、階段手前の踊り場でMちゃんに車椅子を降りてもらい、車椅子はそのまま踊り場の隅に駐車。みんなでMちゃんを部屋まで抱えて運ぶ。幸いにも、前回の部屋と違って今回の部屋にはゆったり二人掛けのソファ席があったので、ここでなら2時間半という長丁場でも、Mちゃんの体に負担少なく過ごしてもらえそうだった。一人、また一人とやってきたメンバーに、今回の事情とミッションの手順を説明して、最後に満を辞してやってきたMちゃんを迎え入れる。
Mちゃんは小柄だけど、それでも大人の人間の重量感というのは、私が抱き慣れている赤ちゃんや子供とはまた全然違う。一人が右肩、一人が左肩、さらにもう一人が両足を抱える三人体制で、「せーの」でMちゃんを抱え上げて室内に運んだ。事前打ち合わせでメンバーの一人であるAちゃんが「最近の渋谷は治安が悪いから、踊り場に放置した車椅子が盗まれるんじゃないか」という懸念点を挙げてくれていたが、それについては車椅子が動かなくなるスイッチを入れて施錠に近いことができたのと、さらに盗まれていないかをこまめに確認しに行くことでなんとか解決した。(……さすがに車椅子を盗むような性悪党はいないのではと思ったけど、のちに知ったことにはこのビルの、まさに私たちの滞在した部屋で、過去に発砲事件が起きていた。)
私はみんなからお金をもらってコミュニティを運営している。だから本当はこんな予期せぬトラブルというのはない方がいいんだけど、それでもうっかり今日みたいなことがたまに起きてしまう。しかし正直言うとそのたびに私は、生きてて良かったなあ、とこの上なく幸せな気持ちになっている。トラブルを起こしてはいけないと、思いながらもトラブルが起きる。すると、望んではいけない、望めるはずないと思っている助けの手を、たまたま近くにいる誰かが、いつも快く差し出してくれる。おかげで(今のところ)毎回、「これはこれで良かった」って形に、無事着地できている。みんなもそういう顔を見せてくれる。だからトラブルから着地した後というのは、ともすればトラブルが起きないときよりも俄然、人生に祝福を感じる。世の中には優しい人間がいるんだって、インターネットばかり見ていると一瞬で忘れる体温のある真実をちゃんと思い出せる。
それに加えて私は今日、抱え上げられたMちゃんが「ありがとう」とか「ごめん」とか、決して言わないでいてくれたことも嬉しかった。彼女が彼女であるというだけの理由で世の中が不条理に要請するある種の態度を、私たちが決して求めていないと、信じてくれている。そう思えて、とても嬉しかったのだ。
その他の記事も読む